出張先での雑記帖



太宰府
Dazaifu


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2014年 1月18日(土) 太宰府(福岡県)

<ぶらり太宰府>

太宰府市は、福岡県中西部の筑紫地域に位置する市である。
九州地区の統治組織「大宰府」が置かれた事により栄えた。
太宰府天満宮などの史跡が多くあり、毎年700万余りもの観光客が訪れる観光都市

道真公が59歳の春に亡くなられた時、お亡骸を乗せた牛車が、
都府楼の北東(うしとら)の方向へ向かって進んでいたところ、
まもなくその牛が動かなくなりました。
それを道真公の御心によるものだとして、牛車の止まったところ、
当時の四堂のほとりに御遺骸を葬ったそうです。
人々は道真公を慕い、お墓の上にお社を建てました。
これが現在の大宰府天満宮の始まりだそうです。
また、道真公は、承和12年(845)乙丑(きのとうし)の歳のお生まれだそうです

 天満宮は、延喜5年(905)、御墓所の上に祀廟(しびょう)が創建され、
延喜19年(919)には勅命により立派なご社殿が建立されたとのこと。

 

久しぶりにリフレッシュできました!



太宰府天満宮
太宰府天満宮は、菅原道真公の
御墓所の上にご社殿を造営し、
その御神霊を永久にお祀りしている神社です。

「学問・至誠しせい・厄除けの神様」として、
日本全国はもとより広く世のご崇敬を集め、
年間に約700万人の参拝者が訪れています。

飛梅
伊勢国度会の社人である、白太夫という人物が、
道真を慕っ て大宰府に下る折、
都の道真の邸宅に立ち寄り、
夫人の便りとともに庭の梅を根分け
して持ってきたそうです。

道真は都から取り寄せたことをふせて、
「梅が飛んできた」ということにした、
ともいわれています。

大樟
太宰府天満宮の境内には、
52本のクスノキ「天神の森」があり、
境内に一年を通じて清涼感を与えています。

この木は、大正13年に
国の天然記念物に指定されました。
目通りは12m、根回り20m、樹高39m、
樹齢は1000年とも言われています。



2012年 2月11日(土) 太宰府(福岡県)

<ぶらり太宰府>

太宰府市は、福岡県中西部の筑紫地域に位置する市である。
九州地区の統治組織「大宰府」が置かれた事により栄えた。
太宰府天満宮などの史跡が多くあり、毎年700万余りもの観光客が訪れる観光都市

太宰府天満宮に祀られている菅原道真公は、
平安時代のすぐれた学者、教育者であり、政治家でした。
忠臣として時の天皇に仕えるも、左大臣藤原時平の陰謀によって
「大宰府」へ左遷されてしまいます。その後、汚名は注がれないまま逝去。
弟子たちは道真公の無念を思いながら亡骸を運びました。
この際、棺を引いていた牛が現在の太宰府天満宮の場所で動かなくなったため、
「これは神になった道真公のご神託だ」と考えた弟子たちが
その場に亡骸を葬り、廟を建てたのです。つまり、太宰府天満宮は道真公の墓所。
全国には道真公を祀る神社が1万2000社ほどあり、
そのなかで太宰府天満宮は天神信仰の聖地とされています。

 

久しぶりにリフレッシュできました!



太宰府天満宮
天神さま(菅原道真公)をお祀りする
全国約12,000社の総本宮と称えられ、
「学問・至誠しせい・厄除けの神様」


楼門

飛梅
「東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 
あるじなしとて 春な忘れそ」

道真公を慕って、都から一夜にして
飛んできたと伝えられる由縁の御神木


大樟
太宰府天満宮の境内には、
52本のクスノキ「天神の森」があり、
境内に一年を通じて清涼感を与えています。

これらのクスノキは、
福岡県の天然記念物に指定されていますが、
そのうち二本は、
樹齢千年を超えると推定され、
国の天然記念物に指定されています。